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生成AIの出力の一部でしかなくなっても技術記事を書けるか

インターネットで次のようなポストをみた。

これは、そうだなと思う。そんな時代が来ても、GitHubにソースコードを公開するだけなら今と変わらず続けるだろう。自分が必要となって作ったものを置くだけなので、オープンにすることへの負担はないし、コード片は作品だと思っていないので勝手に使ってくれればいい。APIデザインは工夫しているので作品だと思っているけど、GitHub等で公開日時が分かるので真似されても証拠となる。

しかし技術記事は、手元のメモから公開記事にする過程で、不特定多数の人が分かるように補足を入れたり、正確な情報を伝えるために公式の情報を調べたりと、公開できる状態にするために数時間は使っている。今の時点では、反響があったり自分というブランディングに役立ったりしているからそのコストを苦だと思っていない。しかし生成AIが出力したテキストの一部にしかならない時代が来たら、自分になにも還元されないので、少なくとも今の形では技術記事を書くモチベーションが維持できないと思う。誰かのためになれば見返りを期待しないことは高潔でいいとは思うが、少なくとも自分はそこまで割り切れないので別のことに時間を使いたい。

本当にそうなったら、手元のメモをそのまま公開して「分かる人だけ使ってくれ」とするか、情報と著者が切り離せない別の手段に移行するかのどちらかになるだろうか。OSS活動なら必ずパッチ作成者として付随してくるから、技術記事を書いていた時間はOSS活動に寄せてもいいかもしれない。