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寛容の原理と寛容のパラドックス

よほど合理性を欠いている場合を除いて、相手の意見をただ否定するのではなく、より合理的な代替案を唱えるべきで、ただ無視すべきではないという考え方のこと。合理的に思えない場合でも、まずは自分の理解が不足していることを疑う姿勢でもある。

これはGitLabに学ぶ 世界最先端のリモート組織のつくりかたにも似たようなことが書いてあったと思う。全てのメンバーは可能な限り良い取り組みをしている前提であるとかなんとか。

寛容な社会は不寛容にも寛容であるべきだが、それでは寛容な社会ではなくなってしまう。例えば二次元キャラに不寛容であることを許してしまうと、徐々に二次元キャラが許されなくなっていく。これを寛容のパラドックスという。

寛容であるために、不寛容には寛容であってはならないと結論が出ている。