思っただけで罪を問いたくなるのは人間の深刻なバグ
フェミニズムを謳う人がよく「考えただけで罪」だと言う。危険思想を放置するとリスクだということが言いたいのかもしれないが、それは過去で魔女狩りとして失敗した愚策となる。現在の刑法は「それが刑罰を与えなければ収まらないほど法益を侵害している、または危険を生じさせる行為」を罰するもので、単に他人にとって不快なだけで罰するのは侵害原理に反する。そして現在の憲法が想定するあり方は、具体的な迷惑をかけない限りは少数派となる行動規律も認めるものとなっている。ただし不快だからではなく、見たくない人が見なくても済む環境は必要らしい。この場合は思っただけではなく、具体的な迷惑があるので、そちらで判断される。
そしていつも、正しく運用することを謳うが、結局どこかで気に入らない人を断罪する道具となるか、娯楽となる。
「思っただけで罪」は、各種原始宗教で異端審問や魔女狩りを起こした、深刻なバグ。反省した近代は「内心はどうあろうと、言動に出さなければ無害」とする。しかし、近代がどうしても理解できないか知らないので、原始宗教を再発明し、異端審問と魔女狩りを起こしたがる人が延々と再生産される。
かつて同じ共同体や家族が互いを奴隷に売り払った場所や、内戦や犯罪多発の崩壊社会だと、他者への不安と不信が満ち、人間は内心干渉をしはじめる。実態がそうでなくても、個人の資質や周囲環境で「ここは誰も信じられない内戦社会! ⋯⋯と思う」ことで起こる。そうでない外が見えない悲しみがある。