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冷笑は何も残さないが建設的な時間は経験が残る

だいぶ前におい、冷笑すんなを読んだ。この記事はとても長くて、正直に言えば途中からは冗長なだけで得るものはなかったが、中盤にこんな記述があった。

なぜなら、冷笑は何も生み出さないからだ。一年後、十年後、あなたが振り返った時、冷笑していた時間は何を残しているだろうか。「あの時、あのブログ記事の矛盾を指摘した」という記憶。「あの時、あのプロジェクトが失敗すると予測した」という記憶。優越感を覚えた瞬間の記憶だけだ。それ以外に何も残っていない。

一方、建設的に関わった時間は結果を残す。行動した時間は、さらに多くを残す。失敗も成功も学びも成長も、すべて残る。そして、何より、「自分は行動した」という事実が残る。ブログを書いた。コードを書いた。プレゼンをした。プロジェクトを立ち上げた。失敗した。学んだ。また挑戦した。これらは、すべて残る。あなたの中に残る。世界に残る。

これは本当にそうだなと思う。

やらない理由を考えるのは簡単だし、一歩引いた立ち位置で俯瞰している自分に酔っている部分もあるので、やらないことを選んでしまいそうになるけれど、そんな時はこれを思い出して「何も残らない」のでやってみる方向に意識を寄せていきたい。

こういう意見もある。

競プロは何の役にもたたない、という話にそうだそうだと乗っかってる人の心理は、数学は成人しても何の役にも立たなかった、というのに乗っかってる人の心理と同じ それをやらなかった自分をそれで良かったんだと思いたいだけ。本当に関心がなくてやらなかった人は無関心になるだけ