手を動かして体感として学ぶ機会はたぶん残る
AIでコード生成が始まったときから「人間は設計だけやってコードはLLMで生成する」のような言説が見かけられる。思った通りにコードが生成される様子をみると、そう勘違いしてしまうのも分からなくはないけれど、それは過去にSIerなどでよく行われていた「社員は設計だけやってコードは外注に書かせる」と構図はなにも変わらないように思う。
最初は、その時点での知見を社員または人間が十分に持っているので、コードを書く時間が別のことに使えるようになって効率が良い。なんだけど、新しいことを体感として学ぶ機会がなくなるので、設計する側が対応できなくなってくる。だいぶ前の話になるが、iOS/Androidアプリで通信が非同期に行われることを嫌って常に同期通信したがる人がいたけれど、それでも設計者を名乗っていたのは印象的だったので覚えている。
自分自身の体験では、例えばReactの useMemo をいつ使うのかを学んだ経験がそれなんだけども、あれは他人のコードを読むだけでは感覚をつかむことができなかったと思う。自分で書いてみることで、裏でなにが起きているのか、いつ使うのかを想像できるようになってくるし、そのうえで人のコードや話を聞いて理解を深めることができた。コードを読むだけでも同じことを実現できそうに思うけれど、実際は同じようにはならない。これは脳の何が作用しているのか分からないが、少なくとも自分の脳が持つ特性はそういうものなんだろう。
今後、もう何段階か抽象度が上がって useMemo のようなものを気にする必要がなくなっても、人間が生物として変わらない限りは新しいことを体感として学ぶ機会はたぶん必要で、そうなったとき世の中がLLM前提の工数感になってしまっていると業務の中で体感として学ぶ時間を作れなくなるので、それは嫌だなどうしようかな、というのを思った。